YUMIKO CHIBA ASSOSIATES

Exhibitions

「欲望の形」

“Wataru Yamamoto / Desired Forms (2012-2017)”

カール・ブロスフェルトの『芸術の原型』(1928 年)に倣って撮影されたそのオブジェクトは、その細部の明晰さも相俟って、 いわば「新即物主義的」に、ある事実を我々に伝えている。
事実。これらのオブジェクトは、ペニスではない。
撮影されたオブジェクトとは、男性用性玩具(オナホール)の内側(=ペニス挿入部分)を石膏で固めて取り出した立体物であ る。したがって一見するとそれはネガとしての人工ペニスである。がしかし、山本が撮影したそれらの写真は、見れば見るほ どにおよそペニスらしからぬ異形さを湛えている。それはあたかも現代都市に自生する植物群のようであり、木下直之が「と ろける股間」と形容した、修正され単なる盛り上がりと化した野外の男性裸体彫刻の性器とはまた違う時間の研磨を受けてい る。人間工学とユーザーへの綿密な聴き取り調査に基づいて開発を続けていった結果、オナホールの空洞部分は、ペニスと一 致するよりもむしろ離れていくこととなった。ペニスのリアリズムも、ヴァギナのリアリズムも、製作の条件-拘束具として はもはや機能しない。石膏の輪郭線は快楽の最大化と技術的可能性によってのみ縁取られる。

新即物主義の作家たちは、同時代に流行していた観賞用の多肉植物を好んでモチーフとして取りあげているが、ここには、単 に被写体の選択だけではなく、「新即物主義的」な撮影手法の選択においても、植物という自然を、無生物的、商品的、もっ といえば機械的なものとして取り出しうるという可能性への確信が見てとれる。機械化と資本主義化が推し進められた彼らの 時代においては、単なる自然主義は現実を掴みきれない。すべてが商品として欲望のもとに流通しうる現実を十全に過不足な く印画紙に定着させるための技術-芸術として、多肉植物は即物的に撮影されている。ブロスフェルト以上に、たとえばアン ネ・ビエールマンの撮影したサボテンの方が山本の実践と重なり合うのは、そのためだ。
撮影されたこの奇妙な、しかし確実に実在するオブジェクトは、山本自身の経験が蝶番となって、東京・秋葉原という街へと 結びつき、さらにサブカルチャー、インターネット空間へと連想されていく。そこには無論、2008 年に起きた「通り魔事件」 の残響が谺している。ここで我々は暫定的な結論を得る。これらの写真は、欲望に造形され特殊化していく社会の表象なのだ、 と。しかし凍てついた視線によって貫かれたその写真は、再度我々に呼びかけている。
注意。これらのイメージは、社会そのものではない。

今回の新作として、作者はオナホールのパッケージイラストの女性をプロジェクターで投影したカラー写真を発表している。 鮮やかな光を浴びる異形の物体には、そもそもにおいて異形である女性キャラクターの身体、そして肥大化した眼が貼りつき、 こちらを向いている。ここで性をめぐるありようがねじれているのは確かであるが、その議論へと安易に舵を切ることはよそう。ここでの飛躍は思った以上に大きく深い。我々はまず、事実と注意から始めるほうがよいだろう。できるだけ入念に。そ れが何かわからなくなるくらいに。
長谷川 新(インディペンデント・キュレーター)

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